5/23/2010

都築響一 - 『夜露死苦現代詩』

正直に話そう。


業界にはいくつもの現代詩の賞があるが、

そこでいちばんになった作品を読んで、ほんとにわかったと思った経験が、僕にはもう20年以上ない。

たぶん、頭が悪いんだろう。

マラルメやT・S・エリオットをすらすら言語で、なんて読めやしないし。



でもね、すべての芸術はまず落ちこぼれに救いの手を差し伸べる、貴重な命綱だったはずだ。

頭いい人たちのオモチャである前に。

そうやってロック・ミュージックが生まれたのだし、

ニュー・ペインティングが、美術教育体系をかけ離れた環境から出てきたのだ。



現代詩だって同じことだろう。

頭いい人たちが、学校から給料もらいながら「現代詩は死んだか」なんて議論して時間潰してるあいだに、

もっと、はるかに切実にリアルな言葉を必要としている人々がたくさんいる。

その人々に向かって書く人がいる。



コンビニ前にしゃがんでる子供が、いまなにを考えてるかといえば

「韻を踏んだかっこいいフレーズ」だ。

60年代の子供がみんなエレキギターに夢中だったように、子供にはヒップホップが必修である。

だれも聞いたことのない、オリジナルな言葉のつながりを捜して「苦吟」するガキが、いま日本中にあふれてる。

国語の授業なんてさぼったままで。



いったいいままで、若者たちがこんなに詩と真剣に向きあった時代があったろうか。



詩は死んでなんかいない。死んでるのは現代詩業界だけだ。

そんな小さな世界の外で、ストリートという生きた時間が流れる場所で、

詩人とは一生呼ばれない人たちが、現代詩だなんてまわりも本人も思ってもいないまま、

こっちに言葉の直球勝負を挑んでくる。

リアリティとは、そういうものだ。



ほんとうにドキドキさせる言葉を生み出してくれる、現代詩のアウトサイダーたちを僕は探しに行きたい。

何ヶ月かかるのか、何年かかるのかわからないが、ついてこれるところまで、君も一緒に来てくれたらうれしい。

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